原始仏教
マハーパジャーパティー・ゴータミー(梵語:マハープラジャーパティー・ガウタミー)(摩訶波闍波提)は史上最初の比丘尼(女性出家者)とされています。彼女は釈尊の母方の叔母として、そして育ての母として知られています。彼女の家系に関する情報は多種…
繰り返しになりますが、原始仏教の教団は、比丘・比丘尼、優婆塞・優婆夷の四衆から成っていました。前の二つは出家者の男女であり、後の二つは在家者の男女です。出家者は社会的義務を離れて遊行生活に入り、二百カ条を超える戒律に従って身を処しました。…
〇釈尊の十大弟子 ①舎利弗(舎利子) 巴語:サーリプッタ、梵語:シャーリプトラ 称号:智慧第一 サーリプッタは、弟子たちの中で最も上位にあった人物です。バラモン出身で、若い頃から学問に秀で、最初は懐疑論者サンジャヤ・ベーラッティプッタの弟子とな…
下記の記事の続きになります。 hiruandon-desu.hatenablog.com 通常輪廻転生というと、Aが輪廻してA'となり、A'がまた輪廻してA"になる、そこに共通して存続する輪廻主体(我=アートマン)を考えるかと思います。しかし、仏教ではA→A'→A"に共通して存続する…
hiruandon-desu.hatenablog.com 上の記事の続きになります。 仏教の輪廻説については様々な議論があります。パーリ仏典を見てみると、重要教義の中に当たり前のように輪廻説が取り入れられていることから、輪廻思想は仏教の核心とする意見がある一方で、あく…
hiruandon-desu.hatenablog.com 上記の記事の続きになります。今回は「他心通」の話になりますが、同時に幾つも触れておきたい話がありますので、併せてお話します。 ○西田幾多郎の「人格的自己」 西田幾多郎は、歴史的世界という本来の立場において、我々は…
最初に、釈尊以前の古代インドの宗教的な背景について、復習になりますが。 西洋人と祖先を同じくするアーリア人がコーカサスの地を離れて東方に向かって遊牧の旅を続け、一部はイランに入り、他は西北インドからインダス河の上流五河地方を占拠し、定住しま…
原始仏教の頃から「四神足(四如意足):欲神足・勤神足・心神足・観神足」という言葉が登場しています。不思議な力=神通力を発揮する瞑想を得るために不可欠な四要素と説明されますが、そもそもこの神通力というものをどのようにとらえたらいいのか…現代人…
少し間が空きましたが、四向四果(四双四輩)には「七種の聖者(七聖者)」という別の表現・分類があります。四向四果はこちらの記事で解説しています。 hiruandon-desu.hatenablog.com hiruandon-desu.hatenablog.com 七種の聖者については「パーリ仏典 中…
今回はパーリ仏典の頃から登場する「四食」という思想を見ていきます。四食とは段食・触食・思食・識食のことで、相応部経典では、我々有情の「識を養う四の食」と説明されます(同時に色・受・想・行の四取蘊は識が住して増長する四つの足場、即ち四識住で…
「名色」こと「名称と形態」という言葉は紀元前8世紀の古代インドからありました。釈尊が活躍した時代は諸説ありますが、紀元前7世紀~5世紀の間のどこかではないかと言われていますので、仏教以前の古代インドから存在する言葉であることが分かります。そん…
十二縁起の四番目に含まれる「名色(ナーマ・ルーパ)」という用語は原始仏教以前から存在しています。一般的に「名称と形態」と訳され、パーリ仏典にもよく登場しますが、あまりイメージが湧きにくいものですね。今回と次回で、この「名色」に触れていきた…
「八勝処」と「八解脱」という言葉がパーリ仏典にも出てきますが、こちらもイメージがつきにくい説明文で解説されてあるかと思います。今回は、これらを「四無量心」の観点から筆者なりに考察していきます。 まず、最初に「八勝処」ですが、下記のようになっ…
hiruandon-desu.hatenablog.com 前回の内容を簡単にまとめると、次のようになります。 慈とは「一切の有情は幸福であれかし。」などと念じ、利益と安楽をもたらそうと願うことです。似て非なる心情が貪欲・愛執であり、退治される心情が瞋恚です。慈を修して…
hiruandon-desu.hatenablog.com 上記の記事の続きになります。慈・悲・喜・捨の完成(終結)とは何か?について、今回触れていきたいと思います。 〇九次第定について 四無量心の話に入る前にまず九次第定について。安止定である四禅・四無色定・想受滅定は…
仏教の瞑想(禅定)を検索すると、おそらく「四禅(または色界四禅)」や「四無色定」のような用語がよくヒットするかと思います。パーリ仏典にもよく登場し、説明もありますが、いまいちイメージがつきにくい感じがあると思います。瞑想で得られた体験を何…
hiruandon-desu.hatenablog.com 四無量心(慈・悲・喜・捨)の瞑想と四念処(身・受・心・法の随観)は相互に関連し合い、禅定を妨げる顕在煩悩、即ち五蓋(貪欲・瞋恚・惛沈睡眠・掉拳後悔・疑)を除去する働きがあるだけでなく、禅定に入れるようになった…
hiruandon-desu.hatenablog.com 上の記事の続きになりますが、我々は自身を感受(苦受・楽受・捨受)と一体化させた状態で生活していると言えると思います。更に言うと、五蘊と一体化させた状態ですね。例えるならば、五蘊という箱の中に閉じ込められた状態…
今日注目されているマインドフルネスの実践法は、原始仏教の代表的な修行方法である「四念処(身念処・受念処・心念処・法念処)」が基礎にあるとされています。身心に生じる快楽や苦痛の感覚感情や思考を、ありのままに苦・楽または非苦非楽として感じてい…
「四向四果(四双四輩)」の詳細を、今回は見ていきたいと思います。最初に、我々衆生(生命)を欲界・色界・無色界といった輪廻の生存(苦悩)へ繋ぎ止める潜在煩悩である「五下分結」と「五上分結」に触れておきたいと思います。 五下分結:衆生(生命)を…
原始仏教の教団は、比丘・比丘尼、優婆塞・優婆夷の四衆から成っていました。前の二つは出家僧の男女であり、後の二つは在家信者の男女です。 出家者は社会的義務を離れて遊行生活に入り、二百カ条を超える戒律に従って身を処しました。一方、在家者は社会の…
「無明→行→識→名色→六処→触→受→愛→取→有→生→老死」という十二縁起(十二因縁)説には、実に様々な解釈があります。 ここではあまり知られていない解釈、しかしおそらく本来の十二縁起はそのようではないかという解釈を紹介します。 まず、仏教では、有情が生…
五蘊無我(五蘊非我)について、パーリ仏典相応部で次のような説法があります。初転法輪では、四諦・八正道でなく、こちらが説かれたとする説もあります。 釈尊: 「比丘達よ、{色・受・想・行・識}は我ならざるものである。もしも、{色・受・想・行・識}が我で…
初転法輪では、「四諦・八正道・四諦三転十二行相」について説法が行われたとする説もありますが、もう一方で「五蘊無我(五蘊非我)」についての説法が行われたとする説もあります。 五蘊無我(五蘊非我)や三転十二行相の話に入る前に、我々が自分であると…
○道諦(道聖諦) 比丘達よ、これが苦の滅に導く道という聖なる真実である。即ち、聖なる八正道である、正しい見解・正しい思惟・正しい言葉・正しい行為・正しい生活・正しい精進・正しい憶念・正しい瞑想のことである。 比丘たちよ、どのように正見が先行するのか…
○滅諦(滅聖諦) 比丘達よ、これが苦の滅(消滅)という聖なる真実である。即ち、かの渇愛を残り無く離れ、滅し、捨て、棄て、解脱して、執着のないことである。 苦(輪廻転生)の原因は渇愛でした。その渇愛が捨断され滅尽する場所は集諦と時と同じく次の場所…
釈尊は自らの覚りを他者へ説法することを決めました。瞑想の師匠であったアーラーラ・カーラーマ仙人とウッダカ・ラーマプッタ仙人は既に亡くなっていましたので、仏陀となった釈尊の最初の説法を受けたのはかつて釈尊と共に修行した五人の比丘(コンダンニャ、…
成道前、二人の瞑想の師のもとを去った釈尊は、我流で苦行難行と瞑想の修行を続けました。ここまでの瞑想や苦行難行は、欲望(惑)を生じさせる原因として問題ではない感情・思考・欲求をも含めて全てを否定するような形で行われています。 しかし、例えば琴が…
出家した釈尊の修行の話に入る前に、当時の宗教的な時代背景を見ていきたいと思います。釈尊をはじめ、当時の出家者達が苦行や瞑想の修行をする理由は何なのかが分かりやすくなるかと思います。 ○生天思想、そして天界での再死への恐れ 西洋人と祖先を同じく…
「空」という言葉は存在の法則的な意味でなく、もっと狭く心理的な意味で用いられることがあります。原始仏教においては、例えば、次のような形で「空」が用いられることもあります。 心の中にAが無い時、その心はAとしては空であると知る。更に、心の中に…