2025-01-01から1年間の記事一覧
西洋人と祖先を同じくするアーリア人がコーカサスの地を離れて東方に向かって遊牧の旅を続け、一部はイランに入り、他は西北インドからインダス河の上流五河地方を占拠し、定住しました。アーリア人は紀元前1200年頃までに『リグ・ヴェーダ』の宗教を成立させ…
次のようなことを考えたことはありませんか? 「ある日突然、自分が記憶の全てを無くしたとしたら、どうなるのだろうか?」と。 事故や災害などで、いつそのようなことが起きないとも限らないし、老年になれば病気、例えばアルツハイマー型認知症などで、自…
「空」という言葉は大乗仏教で登場した言葉のように思われるかもしれませんが、実は原始仏教の頃から登場しています(内容は一致する部分と異なる部分がありますが)。原始仏教以来、出家者達の修行は森・樹下・山窟などの人里離れた静かな自然環境で行われた…
仏教の伝統に「随喜」と「廻向(回向)」の思想があります。 まず、「随喜」とは他者の善行・善事を見て心から喜び称えることです。他者の善行の功徳(善行徳目・福徳)はその行為者である他者の功徳なのですが、その他者の善行・善事を共に喜ぶことで自らの功…
今回は『八千頌般若経』内で説かれる「縁起」の話になります。大乗仏教の「空」思想に基づく「縁起」の考え方が、原始仏教の「十二縁起(十二因縁)」の場合と異なると指摘されることもありますが、その点に関しては中観派開祖ナーガルジュナ(龍樹)の思想…
今回も過去記事の再掲が大半になりますが、初回の掲載からかなり期間が開いてしまいましたので、大乗仏教の「空」を頻繁に取り上げるようになった今のタイミングでもう一度触れておきます。それ自体は存在しない(存在するもの=存在者を超えている)ものの…
「鏡は上下を逆にしないのに、左右を逆にするのはなぜか?」 昔からある有名な疑問だと思いますが、筆者もこれは面白いなと感じました。 ポイントとして、「左右」という概念は観測者(主体)の立場によって変わりうるということです。それに対し、「高低(…
「存在者(目の前に現に存在するものや不可視ながら真に存在するもの)」は存在しますが、それら存在者を存在者たらしめている「存在(存在自体)」はあらゆる存在するものを超えて先にあるものなので、存在しません。これを「存在論的差異」があると言いま…
クシナーラの地で入滅した釈尊の遺体は、そこに住むマッラ族の信者達によって丁寧に火葬されました。そして、マガダ国のアジャータサットゥ(アジャータシャトル)王をはじめ、数か国の王達が仏舎利(遺骨)を供養したいと要求してきたので、ドーナというバ…
hiruandon-desu.hatenablog.com 智慧の完成こと智慧波羅蜜(般若波羅蜜)という真理は唯一無上のもので、過去・現在・未来の諸仏諸菩薩に共通したものであるということ、そして、その真理を求めている者(求道者)は実は長い間それらの諸仏諸菩薩に護られ、導…
hiruandon-desu.hatenablog.com 引き続き、『八千頌般若経』の記事になります。有名な『般若心経』は覚えやすく、写経も読経もし易いですが、少ない文字数にまとめられているが故に意味が分かりにくいのではないかと思います。『八千頌般若経』や『金剛般若…
hiruandon-desu.hatenablog.com 一部、繰り返しになりますが、「般若経」というのは単一の経典ではなく、同一の系統に属する多数の経典の総称です。多くの大部の「般若経」の中で『八千頌般若経』の古い形(原始般若経?)が最も早く成立したと言われていま…
「般若経」というのは単一の経典ではなく、同一の系統に属する多数の経典の総称です。多くの大部の「般若経」の中で『八千頌般若経』の古い形(原始般若経?)が最も早く成立したと言われています。『八千頌般若経』の現存サンスクリット本は7〜8世紀に現形…
十五夜は1年で最も美しいとされている「中秋の名月」を鑑賞しながら、収穫などに感謝をする行事と言われています。2025年は10月6日が十五夜になるようです。さて、そのような満月の模様(月の海)が何に見えるか?と問われた時、我々日本人は「餅つきをする…
今回は、ヴァスバンドゥ(世親)の著書『倶舎論』『成業論』をもとに、大乗仏教の唯識派における「阿頼耶識」の原型になったと思われる部派仏教の説一切有部の「得」説から経量部の「種子」説を見ていきます。ただし、「阿頼耶識」のもとになった思想はそれ…
ヴァスバンドゥ(世親)の『倶舎論』における五位七十五法、今回は修行階梯の五位(順解脱分・順決択分・見道・修道・無学道)の説明になります。 hiruandon-desu.hatenablog.com 有部では、断つべき潜在煩悩として七随眠、細かくは九十八随眠を立てます。ただし…
鳩摩羅什(344-413年)訳『仏説阿弥陀経』において、阿弥陀如来(無量寿如来)の極楽浄土には{白鵠(びゃっこう)・孔雀(くじゃく)・鸚鵡(おうむ)・舎利(しゃり)・迦陵頻伽(かりょうびんが)・共命之鳥(ぐみょうのとり)}の「浄土六鳥」が住んでいるこ…
ヴァスバンドゥ(世親)の『倶舎論』における五位七十五法、今回は「無為法」に入っていきたと思います。ちなみに、ここまでお話してきました「心法・色法・心所法・心不相応行法」は全て「有為法」に該当していました。 hiruandon-desu.hatenablog.com 「有情…
ヴァスバンドゥ(世親)の『倶舎論』における五位七十五法、今回は「心不相応行法」に入っていきたと思います。 hiruandon-desu.hatenablog.com 「心不相応行法」は必ずしも、「心法」と相伴うわけではない法体であり、{得・非得・衆同分・命根・無想・無想定・滅…
ヴァスバンドゥ(世親)の『倶舎論』における五位七十五法、「心不相応行法」「無為法」へ入る前に「有部が説く因果関係」について今回触れていきたいと思います。「心不相応行法」の「得・非得・生・住・異・滅」がかなり複雑なので、それらの理解を助ける意味で…
仏教の「六道輪廻」は「天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道」であり、我々が日常的に考えるレベルの「動物」は「畜生道」に入ることが分かりますが、「植物」はどこに入るのか?という疑問があるかと思われます。「六道」を見ていると、仏教は「植物」…
釈尊は『諸々の事象は過ぎ去る(移り変わる)ものである。怠ることなく、修行を完成しない。』との言葉を最後に残し、ニルヴァーナ(涅槃)に入りました。 hiruandon-desu.hatenablog.com アーナンダ長老は、亡くなる前の釈尊に修行完成者(如来)の遺体はど…
地域によって、七月盆と八月盆の違いがあると思いますが、とにかくお盆の時季が近づいて来たということで、今回はお盆に直接関係したり・しなかったりする話になります(長文になってしまいました…興味のある方は最後までお付き合い頂けると幸いです)。 〇原…
ヴァスバンドゥ(世親)の『倶舎論』における五位七十五法、今回は「心所法」に入っていきたと思います。「心所」とは「心作用」の意味であり、「心法」と「心所法」は必ず同時に生起・消滅し、対象を共有します。有部においては善悪を決める重要な法体となり…
hiruandon-desu.hatenablog.com 釈尊は病いをおして、休みながらクシナーラーへ向かって歩みました。 〇最後の旅の旅路 【マガダ国】ラージャグリハ(王舎城)→ナーランダ村→パーリタ村 ガンジス河を渡る→ 【ヴァッジ国】コーティ村→ナーディカ村→ベールヴァ…
ヴァスバンドゥ(世親)の『倶舎論』における五位七十五法、今回は「色法」に入っていきたと思います。前回の記事で紹介した「心法」は一有情(一個体)につき、一刹那の現在領域に生起できるのは一つだけでした。 hiruandon-desu.hatenablog.com しかし、物…
hiruandon-desu.hatenablog.com ヴェーサーリーの地で、釈尊は三ヶ月後に如来(修行完成者)の入滅を、弟子達に宣言しました。万感を胸に、一行はヴェーサーリー市を出発します。 〇最後の旅の旅路 【マガダ国】ラージャグリハ(王舎城)→ナーランダ村→パー…
hiruandon-desu.hatenablog.com 「心法」同士は、同時に現在へ生起することが出来ず(同一有情において、現在領域へのニ心併起は起きず)、「心法」と「心所」法は必ず同時に生起・消滅し、対象を共有します。有部は対象を持たない認識は有り得ないという立場…
釈尊の入滅については、『パーリ仏典 長部 大般涅槃経』に説かれています。80歳に達した釈尊は、マガダ国のラージャグリハ(巴語:ラーガジャハ)(王舎城)の霊鷲山を出発して、最後の遍歴の旅にのぼりました。釈尊はアーナンダなどごく少数の弟子達と共に…
釈尊の十大弟子の中でも、特にサーリプッタ(舎利子)とモッガラーナ(目連)の二人は釈尊の後継者として期待されていましたが、彼らは残念ながら師である釈尊よりも先に入滅(死亡)してしまったと言われています。 〇サーリプッタ(舎利子)とモッガラーナ…