
次のようなことを考えたことはありませんか?
「ある日突然、自分が記憶の全てを無くしたとしたら、どうなるのだろうか?」と。
事故や災害などで、いつそのようなことが起きないとも限らないし、老年になれば病気、例えばアルツハイマー型認知症などで、自分が自分であるという意識も無くなる(見当識障害を起こす)ことも珍しくありません。その時、「自分」は一体どこに行ってしまうのでしょうか?
「自己同一性(自我同一性)」「情報保存の法則」こそが、その人をその人足らしめているとの考え方はまだ浅いものなのかも知れません。本当に大切なのは、自分が自分であるという確証、その監視を自分自身のみがするではなく、誰か大切な人にも自分が自分であることを証言してもらうということが必要なのだと思います。即ち、自分のことを一番良く知っているのは自分だけと限らず、絶対的に信頼できる他者が自己を自己たらしめるということになるのかも知れないのです。ここで、絶対的に信頼できる他者とわざわざ記したのは、信用できない他者に我々は普段取り囲まれているからですね。
ドイツの哲学者マルティン・ハイデガー(1889-1976)も説く「世人」(世間様)とは冷たいものなので、自分が自分であることを確証してくれる契機には到底成り得ないでしょう(ハイデガーの言葉を借りて表現するならば、世人でなく、真の民族でないとその役目は果たせません)。即ち、この記憶の一貫性を「誰」が保証してくれるのかというのは重要な問題なのです。
しかし、同時に以下のようなことも思い浮かびます。
「その自分の大切な人(信頼できる他者)もある日突然、記憶喪失になって、自分との思い出が全部なくなってしまったら、どうなるのだろうか?」と。
勿論、自分側にその人との大切な思い出(記憶)が残っているのなら、目の前の大切な人が自分のことを全て忘れたとしても、自分はその人のことを以前のように愛し続けることができるかも知れません。なぜなら、愛するその人との思い出は自分の記憶の中で生き続けているためです。その人の人生の生き証人に自分がなることができます。
しかし、ここにおける問題はそういう場合のことではなく、自分も大切な人(信頼できる他者)も記憶喪失(忘れたことさえ忘れた状態)になってしまったら…ということなのです。街ですれ違っても、自分と大切な人(信頼できる他者)はお互いを目の前にしてもただ通り過ぎるだけでしょう。この時、決定的に大事な何かが失われます。自分も大切な人も何か大事なことを忘れているのではないか?ということだけはなぜか分かるものの、お互いが生きている間にその事へ気付ける日はおそらく二度と来ないのかもしれません。
まるで小説や映画の世界のように思われるかもしれませんが、実はそうとも言い切れないのです。なぜなら、我々人間は「私とは誰か?」という存在論的な問題に自信を持って答えることができません。ここでもハイデガーの言葉を借りて表現するならば、人間(現存在)は自らの存在を選び取ったわけではなく、気付いた時には世界の内へと投げ込まれている被投性なのです。即ち、人間(現存在)は世界の内に存在していながら、その存在理由は匿されているということです(存在忘却)。作家の吉川英治(1892-1962)の「人生列車」が分かりやすいですね。
塾の明治娘
文芸家協会の会員カードを初め、よくいろんな問合せや申込書などに、略歴、本名、生年月日などの記入欄があるが、いったい、生れた月日などを、他人が何の便利につかうのだろう。ヘンな習慣である。自分自身にさえ、間違いのない生れ月や日を確かめる必要などは一生の間でもめったにありはしない。
だが、何だかここではそれが必要事みたいになって来たので、明記すると、ぼくのは“明治二十五年八月十三日生”が戸籍面である。
ほんとは、十一日生れだが、届け出が二日遅れたのだそうだ。どうでもいいようなものの、母の亡い今日、そんな事もまた聞いておいてよかったと思っている。自分だけにとっては、地球の実存以上、重大であった自分の誕生日が、あいまいもこであるよりは、やはりはっきり分っていた方が気もちがいい。
といっても単に生れたんだという漠とした観念のほか、もの心がつくまでの何年かは、誰でも例外なしの空白である。ただ脈搏だけをしている何キロかの肉塊にすぎない。多少、記憶めいた覚えも、父母か周囲の移植であり、もし人間が、完全なる自己の出現を、自己の官能で知りたいと
希 ったら、これは煩悶に値することである。そんな煩悶はくだらないと諦めていられる人間だからいいが、よく考えてみると、癪 にさわることでもあるのだ。なぜなら社会は無知を恥じるようにできているが、人間の口ぐせに云う「おれが」でも、「われわれ」でも、その生命の出発点から、てんで自分でも分っていない「おれ」なのだ。発車駅の東京駅も知らず、横浜駅も覚えがない、
丹那 トンネルを過ぎた頃に薄目をあき、静岡辺でとつぜん“乗っていること”に気づく、そして名古屋の五分間停車ぐらいからガラス越しの社会へきょろきょろし初め「この列車はどこへ行くのか」と慌 て出す。もしそういうお客さんが一人居たとしたら、辺 りの乗客は吹き出すに極っている。無知を憐れむにちがいない。ところが人生列車は、全部の乗客がそれなのだ。人間が生れ、また、自分も生れているということは、じつに滑稽なしくみである。
『忘れ残りの記―四半自叙伝―』吉川英治 著より引用
人間は生まれた時から全てが始まるのであり、死ねば全てが終わりなのだと、唯物論的な世界観で考えるのならば、何も問題はないでしょう(その場合、何か大切なことを忘れているわけではないので)。しかし、例えば、仏教を含めた古代インドの哲学・宗教のように、輪廻転生という世界観(輪廻転生ではなくても生まれる前の絆を想定する世界観)の中で考えるならば、この事は大きな問題になるのではないでしょうか。なぜなら、人間の大部分は生まれながらの(前生の)記憶喪失であり、大切なことを全て忘れて、無明(無自覚な無知の衝動)に流されるままに「人生列車」の中で慌てふためいていることになるからです。
それこそ、街ですれ違っても、自分と大切な人(信頼できる他者)はお互いを目の前にしても通り過ぎるだけで、決定的に大事な何かを失うだけの世界になってしまいます。そのような悲劇だけの世界になってしまわないためにも、「空」を強調する大乗仏教においては、各有情の生涯をまたぐ自分が自分であるという確証、その監視役(人生列車の乗客の乗り換えを含めて見守る役)を超人的な菩薩大士達が担っているということではないか?と筆者は考えています。「この人(または人達)に出会うために自分は生まれてきた」と心から思える出会いがあったのならば、それは目に見えぬ力の計らいなのかもしれません。
『リグ・ヴェーダ』に遡る古いインドの伝承によると、神と神に準じる超人は「産道から生まれない者」とされます。産道を通って生まれる普通の人間の場合は「出産時の苦痛」(四諦の苦諦に含まれる生苦)のためにそれまでの記憶が失われますが、「産道から生まれない者」にはこの苦痛がないため、記憶を失わずに済むとのことです。神格化された釈尊がマーヤー夫人の右脇から誕生したとの伝承が作られたのも、釈尊は「産道から生まれない者」であったために前世からの志を忘れることがなかったという理由に基づきます。
さて、各有情の「人生列車の乗り換え」までも見守るならば、その監視役達である菩薩大士にはこのような神や神に準ずる超人的特性が必要になり、同時に『八千頌般若経』で説かれる以下のような性格も必要となります。
一切有情を捨てない英雄
〜
「スブーティよ、このような偉大な繁栄を得ているこの男が何かの原因のめぐり合わせで、父、母、子供、妻たちを伴って大きな荒れた森のなかにはいってしまったとしよう。それはとても恐ろしく、人々の肝をつぶさせ、身の毛をよだたせるよう(な森)であるとしよう。彼はそのなかにいても、かの父、母、子供、妻たちを元気づけて言いきかせる。
『おそれるな、おそれるな、私はお前たちをこのとても恐ろしく、こわい荒れた森から、安全に、幸せに、すみやかに連れ出してあげよう。すぐに解き放してあげよう』と。
しかも、スブーティよ、その荒れた森の中で多くの敵対するもの、多くの反抗をなすものがこの男に近づいてくるとしよう。スブーティよ、お前はこれをどう思うか。いったい、この英雄的で、立ちあらわれた敵対者、反抗者たちによってもしりぞけられず、堅固な精気と力にめぐまれ、知恵があり、きわめて親切で、憐れみ深く、勇気に満ち、偉大な装備をそなえた男は、かの父、母、子供、妻たちを捨ててしまって、その恐ろしく、こわい荒れた森から自分ひとりだけで逃げ出すはずであると思うか」
スブーティはお答えした。
「そうではありません、世尊よ。それはなぜかと申しますと、世尊よ、その男のその父、母、子供、妻たちは捨てられはしないからです。彼には内的にも外的にも強力な装備があり、その荒れた森の中で、それらの敵対者、反抗者たちに対して、別な、より役だち、より勇気あり、より断固として攻撃的で、より偉大な対抗者、反撃者たちが彼の(味方として)存在し、守護するのです。それらの彼の敵対者、反抗者たちは(攻撃のために)弱点を求め、弱点を捜しても、弱点を見つけることはできないでしょう。そのため、世尊よ、その有能な男は、負けもせず、傷つきもせずに、その父、母、子供、妻たちをみずからとともに、そのとても恐ろしく、こわい森から、安全に、幸せに、すみやかに連れ出すことができるし、村、街、あるいは都まで到着するでありましょう」
このようにいわれて、世尊はスブーティにつぎのように仰せられた。
「スブーティよ、ちょうどそのように、菩薩大士はあらゆる有情に利益をもたらし、同情的であり、慈しみを寄せ、憐れみを寄せ、喜びを施し、平等に接し、巧みな手だてと智慧の完成にまもられていて、諸善根を仏陀の是説される、正しい廻向の仕方で廻向して、空性、特徴なきこと、願望を離れることという解脱への門戸である(三種の)精神集中(三昧)にはいるのであるが、しかし、真実の究極を直証してしまいはしない。つまり、声聞の階位とか、独覚の階位に(おけるさとりにとどまることは)ない。それはなぜか、というのは、彼は最も力強く、最も堅固な守護者、すなわち、智慧の完成と巧みな手だてとがあるからである。そによって、彼に従うあらゆる有情は捨てられることなく、それによって彼のほうは幸せに、安全に、無上にして完全なさとりをさとることができるのである」
『大乗仏典〈3〉八千頌般若経Ⅱ』梶山雄一、丹治昭義 訳より引用
このように、勇猛果敢に有情を守り、導こうとする菩薩大士にも、或る有情をその生涯の間の中では救えなかった際の悲しみと思い悩みがあり、それは「菩薩の悲苦」と呼ばれ、「有情の苦」とは区別されます。中国(唐)の詩人 杜甫(とほ)(712-770)が「安史の乱」の最中の春に長安で詠んだ漢詩『春望』に、「菩薩の悲苦」と同じ類の優しさと思い悩みを筆者は感じます。
春望<杜 甫>
國破れて 山河在り
城春にして 草木深し
時に感じて 花にも涙を濺ぎ
別れを恨んで 鳥にも心を驚かす
峰火 三月に連なり
家書 萬金に抵る
白頭掻いて 更に短かし
渾べて簪に 勝えざらんと欲す
意解
戦乱によって都長安は破壊しつくされたが、大自然の山や河は依然として変わらず、町は春を迎えて、草木が生い茂っている。
時世のありさまに悲しみを感じて、(平和な時は楽しむべき)花を見ても涙を流し、家族との別れをつらく思っては、(心をなぐさめてくれる)鳥の鳴き声を聞いてさえ、はっとして心が傷むのである。
うちつづく戦いののろしは三か月の長きにわたり、家族からの音信もとだえ、たまに来る便りは万金にも相当するほどに貴重なものに思われる。
心労のため白髪になった頭を掻けば一層薄くなり、まったく冠を止める簪(かんざし)もさすことができないほどである。
『春望』杜甫 著より引用
「國破れて山河あり」。例え、国が敗れた(滅びた)としてもそこにはWITNESSとしての国が在ります。誰かが覚えていてくれること、即ち、「歴史の証人」です。その国は敗れて滅びました。しかし、覚えていてくれる・記憶してくれている者が居る、敗れた国は覚えている者によって救われ、その者の心の中で生き続けます。生き証人になってくれる第三の目、WITNESSの優しさがここにあります。その恩恵で敗れた国は形を変えて、次の新しい国へと繋がることもできるでしょう。
「菩薩の悲苦」は、初期大乗経典の一つである『維摩経』の主人公ヴィマラキールティ(維摩)居士の病気の正体でもあります。
ヴィマラキールティ(維摩)は阿閦如来の仏国土である妙喜世界から来生(還相廻向)してきた菩薩大士であり、「有情病むが故にわれ病む」、即ち、この世の人が一人でも病み、苦しみ、悩んでいる以上、自分の病も治らないと言います。有情の苦しみを何とかして救い出したいと願い、思い悩み、心を砕いて奮闘する菩薩の深い慈悲のあり方が「菩薩の悲苦」であり、ヴィマラキールティは、菩薩と有情(衆生)の関係を親子の関係になぞらえて説明しています。