初期大乗経典の一つである『維摩経』は、文学的にもとても面白い経典と思えます。商業都市ヴァイシャリーの大城に住むリッチャヴィー族の維摩(ヴィマラキールティ)とよばれる在家居士が主人公です。彼は俗人の白衣を身に着けながらも沙門の行いを全うし、在家でありながら三界(欲界・色界・無色界)をも超越していました。妻子や召使い達と共に居ても、常に浄らかに身を処し、一族にとりまかれていても閑寂の中に身を置いてました。維摩は過去世において仏陀を尊敬して善根を積み、多くの仏陀を礼拝し、万物は不生不滅であると覚る無生法忍や英知の弁才を得ており、特に巧みに方便を駆使する無量の智慧(善巧方便)に優れた菩薩大士だったのです。維摩のモデルになったと思われる在家修行者は原始仏教に登場しています。
〇郁伽(ウグラ)居士
原始仏教の教団は、比丘・比丘尼、優婆塞・優婆夷の四衆から成っていました。前の二つは出家僧の男女であり、後の二つは在家信者の男女です。出家者は社会的義務を離れて遊行生活に入り、二百カ条を超える戒律に従って身を処しました。一方、在家者は社会の中にあって稼業にいそしみ、家族を扶養し、五戒を守りながら社会的な義務を果たしました。在家と出家が同程度に修行の成果を修めることはほぼ不可であったでしょうが、在家の信者の中にも出家者に劣らぬ信念と知識を持ち、その優れた生活態度を釈尊に称賛された人々も数多くいたようです。郁伽(ウグラ)居士が有名であり、彼は大乗仏教においても在家の菩薩の理想像として受け継がれいて、維摩のモデルとなった人物とも考えられています。
ヴァイシャリー(パーリ仏典ではハスティグラーマとする説もある)の郁伽はあるとき、7日間続けた酒宴の終わりに女達を連れて遊園にいましたが、偶然通りかかった釈尊の威厳に満ちた姿を遠くから見て、今の自分を大いに恥じ、酔いが醒めていきます。その場で釈尊に敬礼し、戒を受け、教えを聞いて、やがて不還の聖者となりました。家財をもって僧団に給食し続け、釈尊に僧団奉仕の第一人者と呼ばれるに至ったようです。
〇「維摩の病気」と「不二の法門」
『維摩経』の話に戻ります。維摩が病気になったため、釈尊が十大弟子や弥勒菩薩など菩薩達にお見舞いに行くように命じますが、彼らは維摩に自身の思想あるいは実践修行を完膚なきまでに論難追及されたことがあり、萎縮して行こうとしません。そこで、文殊菩薩が見舞いに行き、維摩と対等に問答を行いました。文殊菩薩との対談で明らかになった維摩の病気とは「菩薩の病気」でした。それは、あらゆる衆生に無明があり、有愛がある限り続くものです。菩薩にはあらゆる衆生を自身の一人っ子のように愛する大慈悲があるため、その大慈悲から生じるものです。菩薩の悲苦とも言われ、衆生の苦とは性質を異にするものです。なぜなら、菩薩(特に菩薩大士)が清浄な仏国土(浄土)からわざわざ不浄な娑婆世界(穢土)へ生まれるのは、輪廻転生に縛られてのことではなく、衆生救済のためであるからです。即ち、解脱のままに生まれることであり(還相廻向)、外見上輪廻の中にあってもそれに束縛されていません。
難しい話になってしまいましたが、要は子が病気になったことで、何とかしてあげたいと思い悩み、自身も心を痛めて病気になってしまった親の状態です。菩薩大士の維摩も煩悩に覆われた衆生を何とかして苦から救い出したいと思い悩んでいたのです。維摩と文殊菩薩は、衆生の煩悩というものは外来的に心に付着したものに過ぎない(長い時間はかかっても必ず治る病気である)ことを冷静に観察する大切さも説いています。この病になった菩薩は、自分の病気が真実なものではなく実在するものでないのと同様に、あらゆる衆生の病気もまた真実なものでなく実在するものでないと観察すべきとあるとのことです。
維摩は衆生の病の根本原因を、対象を主観と客観の二に捉えることとしています。主客分離を離れた不二の法門に入ることで病なきものとなれるものと考えられます。維摩は集まった菩薩達に不二の法門に入るとはどういうことかと質問し、各々の菩薩が様々に例を挙げて回答しています。不二の法門とは、互いに相反する二つのものが、実は別々に存在するものではなく、一つのものであると覚る境地で、二つのものの例として、{生起と消滅、我有りと我が物有り、汚れと浄め、動きと思考、菩薩心と声聞心、善と悪、有漏と無漏、幸福と不幸、世間と超世間、輪廻と涅槃、明と無明、色と空、等}が挙げられています。この不二の法門の通り、釈尊(釈迦如来)にとって、我々の娑婆世界とは本来的には穢土のまま浄土(穢土即浄土)であることが説かれています。しかし、無明の闇に覆われた心の衆生(病気になっている衆生)には、この娑婆世界が穢土という形にしか映らず、逆に浄土といえばこの娑婆世界から遥か遠い彼方にあるであろう理想郷に過ぎないことになります。そのような衆生の無明の闇を除くため、文殊菩薩と同じく釈迦如来の片腕となって働いているのが維摩であると思われます。無明が払われることで、穢土は浄土へと転じ、いわば浄土を穢土に見ることができるのです。
ここまで優れた菩薩大士、維摩を在家居士として登場させたのは、出家者中心の小乗仏教への批判もあったと思われます。しかし、『維摩経』は大乗と小乗の対立ではなく、小乗は大乗の中に包摂されていく、即ち最終的に大乗によって衆生は救われることを説きます。この点は『法華経』の「開三顕一」の思想と共通していると思います。開三顕一は、声聞乗・独覚乗・菩薩乗の三乗が一乗(仏乗)に帰することを強調しています。小乗仏教の立場を方便説として認めつつ、本教の立場(一乗)に止揚しようとしました。
〇維摩の故地の教主 阿閦如来(不動如来)
維摩が仏国土(浄土)から娑婆世界(浄土)へ衆生救済のために還相廻向してきた菩薩大士であることは分かりましたが、それでは何処の仏国土から来生しているのか?これについて次のように、阿閦如来の仏国土である妙喜国から来生してきたことが明かされます。
世尊は長老シャーリプトラに仰せられた。
「シャーリプトラよ、この人(ヴィマラキールティ)はすぐれた喜び(妙喜)の世界の不動如来(無動如来・阿閦如来)のところから、ここへ来たのだ。」
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その時、この集まりにいた者は全て、かの妙喜世界と不動如来とその菩薩達と大声聞達とを自分の眼で見たいものだと思った。世尊は彼らが心に考えていることを知って、ヴィマラキールティに向かって仰せられた。
「ここに集まっている者は、妙喜世界と不動如来とを見たいと望んでいる。みんなに見せてあげなさい。」
そこで、ヴィマラキールティは、自身はこの獅子座から立ち上がらないで、次のことをしようと考えた。
「かの妙喜世界と、その百・千無数の菩薩と、天、龍、ヤクシャ、ガンダルヴァ、アスラの住処をとりまいている鉄輪山と、また、河、池、泉、流れ、海溝、またスメール山や、その他の小山や香山など、また日月、星辰、天、龍、ヤクシャ、ガンダルヴァの住処、ブラフマー神の住処とその集まり、また村、町、城市、田舎、国土、男、女、家など、また菩薩や声聞の集まり、更に不動如来の菩提樹、また、その不動如来が海のように多い人々の中にあって法を説いていること、また、十方の衆生に対して蓮華が仏陀としての働きを行うこと、また、ジャンブ洲(贍部洲)から高く三十三天まで三つの宝石のきらめく梯子がかかっており、三十三天の神々は不動如来に会い、礼拝供養し、説法を聞くためにその梯子によって降りて来ること、また、ジャンブ洲の人々は三十三天の神々に会うためにそこへ昇っていくこと、このような無数の徳性を集めている妙喜世界の水輪をはじめとして上の方は色究竟天に至るまでを陶工がろくろを回すように、瞬く間に切り取って右手に受け、華鬘を捧げるようにしてサハー世界へもってこよう。そして、ここに集まっている人々に見せてやろう。」と。
そう思ってヴィマラキールティは三昧に入ってそのような神通をあらわし、瞬く間に妙喜世界を切り取って右手ののせ、このサハー世界に置いた。
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かの妙喜世界がこのサハー世界に置かれても、この世界がいっぱいになったり、減ったりしたとは見えないし、窮屈に押し込められているわけでもない。かの妙喜世界も小さくもならず、以前とまったく同様に見える。その時、釈尊はそこに集まっている全ての者に告げた。
「友よ、妙喜世界・不動如来・その仏国土の美しさ・声聞や菩薩の光輝を身よ。」
「世尊よ、見ております。」と彼らはお答えした。
世尊が仰せられた。
「このような仏国土を手に入れたいと願う菩薩は不動如来が菩薩として昔行ったことを全て見習うべきである。」
神通力によって上述のような妙喜世界と不動如来とを礼拝することができて、このサハー世界の神々や人々の中の十四ニユタの者がこの上もない正しい覚りに向かって発心した。また、人々は全てかの妙喜世界に生まれたいという願いを起こし、世尊はまた、彼らが全てそこに生まれるであろうとの予言を与えた。
『大乗仏典〈7〉維摩経・首楞厳三昧経』長尾雅人・丹治昭義 著より引用
阿閦如来(アクショーブヤ)は菩薩であった時、いかなる衆生に対しても瞋恚の心を起こすことなく、一切智を得て仏陀になろうと誓い、不動の決心を貫いて修行し、ついに成仏してその美しい仏国土を建設した仏です。現在、東方の妙喜国(アビラティ)において教えを説いていることが『阿閦仏国経』に記されています。この仏国土では、声聞と菩薩とが共存しており、後者の菩薩は正覚を得る(仏陀になる)までの間、諸仏国土を遍歴する(仏国土から仏国土へ赴く)とあります。そして、いかなる場所へ行こうとも諸仏世尊・諸菩薩・仏弟子(声聞)を離れません。
阿閦如来の妙喜国もまた、阿弥陀如来の極楽浄土と同じように美しく修行に適した理想郷そのものであることが分かります。そして、『仏説浄土三部経』で阿弥陀如来の極楽浄土への往生が勧められるのと同様、『阿閦仏国経』においても阿閦如来の妙喜国への往生が勧められています。仏国土への往生の勧めは『維摩経』における不二の法門≒「穢土即浄土」の思想と矛盾するようにも思われますが、そうではないと考えられます。なぜなら、維摩が菩薩の神通力で妙喜国の一部を切り取って、娑婆世界へ置いたとあるように、妙喜国と娑婆世界は相反する浄土と穢土の関係のように性質的に隔絶された二つでなく、本来的には同じ浄土として一つであることを示していると考えられるからです。娑婆世界は釈迦如来にとって浄土であるため、諸仏国土を遍歴中の維摩は謂わば妙喜国と娑婆世界の架け橋なのです。