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【原始仏教】八勝処と八解脱を四無量心の観点から考察

「八勝処」「八解脱」という言葉がパーリ仏典にも出てきますが、こちらもイメージがつきにくい説明文で解説されてあるかと思います。今回は、これらを「四無量心」の観点から筆者なりに考察していきます。

まず、最初に「八勝処」ですが、下記のようになっています。

八勝処

第一の勝処:

或る者は、内心に〈色〉の想いを抱き、外面的な〈色〉を、限られた僅かな好い色彩、悪い色彩のものと見なして、〈それらに打ち克って、我は知り、我は見る〉と、このような想いをなす。

第二の勝処:

或る者は、内心に〈色〉の想いを抱き、外面的な〈色〉を、限り無い好い色彩、悪い色彩のものと見なして、〈それらに打ち克って、我は知り、我は見る〉と、このような想いをなす。

第三の勝処:

或る者は、内心に〈無色〉の想いを抱き、外面的な〈色〉を、限られた僅かな好い色彩、悪い色彩のものと見なして、〈それらに打ち克って、我は知り、我は見る〉と、このような想いをなす。

第四の勝処:

或る者は、内心に〈無色〉の想いを抱き、外面的な〈色〉を、限り無い好い色彩、悪い色彩のものと見なして、〈それらに打ち克って、我は知り、我は見る〉と、このような想いをなす。

第五の勝処:

或る者は、内心に〈無色〉の想いを抱き、外面的な諸々の〈色〉を、青く、青色の、青い外観の、青い艶のものと見なして、〈それらに打ち克って、我は知り、我は見る〉と、このような想いをなす。

第六の勝処:

或る者は、内心に〈無色〉の想いを抱き、外面的な諸々の〈色〉を、黄色く、黄色の、黄色い外観の、黄色い艶のものと見なして、〈それらに打ち克って、我は知り、我は見る〉と、このような想いをなす。

第七の勝処:

或る者は、内心に〈無色〉の想いを抱き、外面的な諸々の〈色〉を、赤く、赤色の、赤い外観の、赤い艶のものと見なして、〈それらに打ち克って、我は知り、我は見る〉と、このような想いをなす。

第八の勝処:

或る者は、内心に〈無色〉の想いを抱き、外面的な諸々の〈色〉を、白く、白色の、白い外観の、白い艶のものと見なして、〈それらに打ち克って、我は知り、我は見る〉と、このような想いをなす。

『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経』中村元 著を参照

 

これを「四無量心」の瞑想に置き換えて考えてみます。ブッダゴーサ著の『清浄道論』において、慈悲喜捨の各々の修習対象と順番は、慈と悲が「自己→親しい者→無関係者→嫌いな者」、喜が「親しい者→無関係者→嫌いな者」、捨が「無関係者→親しい者→嫌いな者」でした。

第一~第四の勝処における「好い色彩、悪い色彩のもの」というのがそれぞれ親しい者と嫌いな者に該当すると思われます。内心の「色の想いと無色の想い」の相違はおそらく、自己を対象とする段階かそれを超えているかの違いでしょう。

続く第五~第八の勝処では、好い色彩や悪い色彩といった諸々が青・黄・赤・白など一色となっており、即ち、親しい者・無関係者・嫌いな者の壁を破って近行定に入った段階を示しているのではないかと思います。

 

次に「八解脱」へ入っていきます。この「八解脱」は智慧の解脱・心の解脱を実現した最高境地の阿羅漢が修得するものであり、第一から第八の解脱の境地へ段階的ではあるものの自由自在に出入り可です。

八解脱

第一の解脱:

内心において〈色〉という想いを抱いている者が、外において〈色〉を見る。これが第一の解脱である。

第二の解脱:

内心において〈無色〉という想いを抱く者が、外において〈色〉を見る。これが第二の解脱である。

第三の解脱:

全てのものを〈浄らかである〉と認めていること。これが第三の解脱である。

第四の解脱:

〈色〉という想いを全く超越して、抵抗感を消滅し、〈別のもの〉という想いを起こさないことによって、〈全ては無辺なる虚空てある〉と観じて、〈空無辺処〉に達して住する。これが第四は解脱である。

第五の解脱:

〈空無辺処〉を全く超越して、〈全ては無辺なる識である〉と観じて、〈識無辺処〉に達して住する。これが第五の解脱である。

第六の解脱:

〈識無辺処〉を全く超越して、〈何ものも存在しない〉と観じて、〈無所有処〉に達して住する。これが第六の解脱である。

第七の解脱:

〈無所有処〉を全く超越して、〈非想非非想処〉に達して住する。これが第七の解脱である。

第八の解脱:

〈非想非非想処〉を全く超越して、〈想受滅〉に達して住する。これが第八の解脱である。

『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経』中村元 著を参照

 

第一と第二の解脱は八勝処における段階と考えられます。そして、第三の解脱は浄解脱であり、四禅(色界の初禅~第四禅)の境地、そして四無量心における「慈心解脱」の境地です。(詳細は下記の記事をご参照ください)

hiruandon-desu.hatenablog.com

hiruandon-desu.hatenablog.com

同様に、第四の解脱は「悲心解脱」、第五の解脱は「喜心解脱」、第六の解脱は「捨心解脱」に該当すると考えることができます。智慧の解脱とセットで語られる際の心の解脱とは、この四無量心を倶備した四無色定の修得を指すと思われます。