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仏教の「空」や「一即多・多即一」を分子生物学の観点から考察

大乗仏教では「空」や「真如」といった真理を示す言葉が何度も登場します。特に、「空(空性)」は様々な意味に使われており、一貫性がありませんが、とにかく仏教における「空(空観)」は「無(断見)」とは異なり、「何も無い(虚無である)」ことを意味しているわけではありません。今回はそんな「空」のイメージを、分子生物学的な観点から見ていきます。

 

○人体は小宇宙

さて、古代の哲学では、よく人体を小さな宇宙であると表現しますが、筆者も同感です。それは人体がどのような元素からできているかを考えると納得できます。即ち、宇宙の一部が地球になる→地球の一部から生命誕生という一連の進化の流れが元素(水素・炭素・酸素・窒素など)の構成比率から見えてくるのです。

 

生命は38億年という途方もなく長い時間をかけ、これまで進化をしてきました。その長い時間の中で、生命は様々な化学反応を生命維持のために利用できないか?と試行錯誤を繰り返しながら子孫を残してきました。ただし、勿論、生命が自分の意志で化学反応を試したわけではなく、偶然にも環境へ適応した化学反応を取り入れた個体が子孫を残していき、それができなかった個体が絶滅していった(淘汰されていった)ことになります。身の回りに沢山ある元素であれば、それだけ生き残るのに有利になる化学反応を見つけ出せる可能性も高くなるため、その元素を利用できるように進化するのはごく自然な成り行きでしょう。

 

こうした経緯から、宇宙にある元素と我々の体を構成する元素は大きく繋がっているわけです。書き始めると、前置きがかなり長くなってしまいましたが、元素構成比率だけでなく、時間経過に伴い、一から多(一切)に向かう様においても、宇宙の展開と我々生物の発生には共通点が見られます。我々の人体を宇宙と仮定し、人体を構成する数多の細胞を一切(宇宙を作る全て)と仮定すると、どのような世界観が見えてくるでしょうか。

 

○我々の細胞の中のDNA

生物が発生する過程で、細胞がある目的にあった形や機能を持つように変化していくことを「細胞の分化」といいます。ただし、一度分化した細胞(体細胞)は通常更に分化することはありません。例えば、一度、心臓の細胞に分化した細胞が肝臓の細胞に変わるといったことはありません。分化した細胞(体細胞)が細胞分裂をしても、同じ細胞(分化後の自分自身)が2個誕生する(対称分裂する)だけです。例えば、1個の皮膚細胞が細胞分裂しても、分裂前と同じ種類の皮膚細胞が2個になるだけです。

 

ところが、分化する前のままの状態で存在し、他の種類の細胞を生み出すことができる細胞がほんの少数ではあるものの我々の体内に存在しています。即ち、「自分自身(分化前の状態)」「他の細胞に変化する細胞(他へ分化する状態)」の2個に分裂(非対称分裂)する細胞で、これを幹細胞と呼びます。

 

分化し終えた細胞(体細胞)であっても、そのほとんどが細胞分裂して増えることはできるのですが、数十回分裂すると、それ以上の分裂ができなくなってしまいます。仮に、傷の修復等のために分裂が繰り返され、分裂が打ち止めになってしまったら、その個体は生存が困難になってしまいますね。そんな際に、幹細胞が活躍してくれます。

 

幹細胞にもいくつかの種類があり、例えば、プラナリアの場合は自身の体内のどんな細胞でも生み出すことができる幹細胞を体内に持っているため、切断されてもその片々が元通りのプラナリアに再生することができます(生物の教科書によく登場しますね、プラナリア!)。このように、どんな臓器や組織の細胞にでもなれる幹細胞を「多能性幹細胞」といいます。

 

しかし、我々ヒトの体内には残念ながら、プラナリアのような多能性幹細胞は存在しません。ヒトが持つ幹細胞は例えば、赤血球・白血球・血小板などをつくる造血幹細胞、神経細胞をつくる神経幹細胞、肝臓の細胞をつくる肝臓幹細胞など、限られた臓器や組織の細胞にしか分化できません。このような幹細胞を成体幹細胞といいます。しかし、ヒトにも多能性幹細胞を有する時期が無いといえば嘘になり、その時期とは受精卵ないし、そこからやや発生が進んだ胚性幹細胞(ES細胞)の時の状態です。

 

さて、人体は約200種類、計60兆個の細胞から成ると言われています。それらの根源は前述の通り、1個の受精卵であり、この1個の受精卵が細胞分裂を繰り返す中で、多種多様な種類の細胞に分化し、人体が形成されていきます。それはあたかも、幹から枝が、枝から葉が作られていくかのようです。そして、その葉から幹へ戻ることは、通常であればないのですが、その時間を巻き戻すように、分化した細胞をもとの万能細胞(多能幹細胞)の状態に人工的に戻すことはできないかという研究が進められてきました。60兆個の細胞は赤血球などの特殊な細胞を除き、全て同じDNAを内部に持っており、細胞の種類が異なっていても、それは使用している遺伝情報が異なるだけで、どの体細胞も再度DNAを全て使えるような状態に戻すことができれば、理論上は受精卵の万能性を復活できるのです。

 

それでは、分化した細胞(体細胞)は他の全ての細胞のDNAをもっているにも関わらず、なぜ他の細胞に変化することがないのか?(癌細胞は例外ですが)。理由は簡単で、分化して生体のある機能を担うようになった細胞が他の細胞に変化してしまったら、生体のシステムは崩壊してしまいます。例えば、心臓の細胞がいきなり肝臓の細胞になってしまったら大変なことになることは容易に想像できると思います。そのため、分化した細胞にとって、多様性は抑え込んでおかなければならないものであり、他の細胞に変化しないように、分化した細胞のDNAは厳密に管理されているのです。

 

そうであるならば、分化した細胞におけるそのリミッターを外すことさえできれば、体細胞(分化した細胞)から多様な可能性をもった幹細胞、つまり万能細胞をつくることができるということになります。2007年、京都大学の山中伸弥教授らがヒトの体細胞から人工多能性幹細胞(iPS細胞)の作製に成功したと発表しました。山中教授は体細胞に4種類の遺伝子(山中ファクター)を導入するだけで、細胞の時計の針を巻き戻し、万能性を復活させられることを明らかにしたのでした。

 

60兆個の細胞は赤血球などの特殊な細胞を除き、全て同じDNAを内部に持っており、細胞の種類が異なっていても、それは使用している遺伝情報が異なるだけでした。即ち、我々の人体を構成する「生体のある機能を担う分化した細胞」の全て(上記の例外を除く)には共通する「DNA」という本性があり、本性をそのまま具現化すると「生体のある機能を有さない未分化の多能性幹細胞」なのですが、様々な因縁によって多様化しているだけであることが分かります。

 

これは人体においての話ですが、前述のように人体と宇宙には繋がりがあります。同様のことが宇宙全体にも言えるのではないでしょうか。宇宙の中に存在する物質的要素・精神的要素をあわせた万物には「宇宙のDNA」に喩えられる共通の本性があり、それ自体、もしくはそれ自体をそのまま具現化したものが、大乗仏教で頻繁に説かれる「空」「如来法身」「無垢真如」の一面と言えると筆者は考えます。それが因縁によって多様に分化(使用する遺伝情報の差が顕現)したものが宇宙の万物であり、そこに我々も含まれます。そんな多様相側に属する我々が持っている状態における「宇宙のDNA」を「如来蔵・仏性」「有垢真如」「在纏位の法身」「自性清浄心・光り輝く心」のようイメージになります。西田幾多郎の後期哲学の「弁証法的一般者」と「個物」の関係のようでもありますね。