シン! 原始仏教探究ブログ

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コーチングとしての原始仏教

コーチングと仏教


仏教に関心のあるみなさんは、「コーチングと仏教」などというと。「え?コーチングは自己啓発の分野で、宗教である仏教徒はまったく違うのでは?」と思うかもしれませんね。

コーチングで大切な考え方は「ゴール」です。仏教にもゴールがあります。一人の人間がいかにして、悟りというゴールに至るのか、修行したらよいのかを合理的に実践するのが仏教だと言っていいでしょう。

では、悟りとは一体どのような状態を指すのでしょうか。それは、単に今の自分の目標を達成するということではなく、今の現世を生きている自分とは違う次元で、究極の「生」のゴール(涅槃)を求め、達成することです。

一方でコーチングとは、こう定義されます。

 

 

 コーチングのコアとはゴールです。
 しかし、ひと口にゴールと言っても、いろんな解釈の仕方があります。例えば、「今年の目標は英会話を身につけること」もゴールであり、受験生にとっては「○○大学に入る」のがゴールになるでしょう。ビジネスマンの中には「○○会社と取引できるようになるのがゴール」という人もいるはずで千差万別です。

 ところが、コーチングにおけるゴールはいま例に出したようなものとは意味合いが違ってきます。コーチングのゴールには、はっきりした定義があるのです。
 それは「ゴールは現状の外側に設定する」というものです。

「現状」とは、現在の仕事や生活や収入、夢や希望、心地いいと感じるものと心地よくないと感じるものなどを指します。一言で言ってしまえば、今の自分を取り巻く環境です。そういった「現状」から抜け出すためにゴールは設定されるべきものです。

 しかし、多くの人は「現状から抜け出たい」と言いながら現状の内側にゴールを設定しています。「今年は売り上げを倍にしたい」「営業成績を恒常的に上げていきたい」「将来は社長になりたい」「部下の信用を得たい」などいろいろあると思いますが、これらはすべて現状の内側です。
 現状についての詳細は本文を読んでほしいのですが、現状を抜け出したいのに現状の内側にゴールを設定していたら、そこから抜け出すことは不可能でしょう。

「ゴールは現状の外側に設定する」とは、いまの自分では実現不可能なもの、それどころか、ゴールとして想定すらできないようなものをゴールとして設定することです。これがコーチングにおけるゴールであり、現状から抜け出したいのであれば、そうする以外に方法はないのです。

 

正しいゴールを設定するヒントとして、自分の事ばかり考えていたら見つからないと苫米地博士は言います。仏教における究極のゴール、涅槃がまさにそうですね。自分のゴール達成のことばかり考えていては、涅槃の境地に達するなど夢のまた夢です。
実際に、お釈迦様も善き仲間達に取り巻かれた修行者は涅槃の境地への道である八正道の修得を盛んにできることを説き、そして弟子達へ多くの人々の安楽のために行脚して仏法を説き示して回るよう指導していることがパーリ仏典の記述から伺い知ることができます。
コーチングにおける正しいゴール設定には、自分をいかに社会に役立てるか、「利他の精神」が必要とも言われます。
これはまさに仏教の菩薩の道だと言えるでしょう。

 

また、日本におけるコーチングの第一人者である苫米地英人氏は仏教の「縁起」、それを実践する人間を「縁起人」として、このように述べています。

 

 

 

 

縁起人とはどういう人物かというと、端的にいうと「偏見がない人」です。
自分が既に持っている知識が正しいという前提で知識を見る人は、縁起人ではありません。

「この世に絶対的なものは何もない」

これが縁起の教えです。ということは、偏見を持って人の話を聞かない人が、縁起人のはずはありません。
縁起とは何かというと、存在そのものを認めるということではありません。
「関係を認める」のです。関係によって存在が定義されるということは、存在にはアプリオリ(先天的)な価値がない、ということになります。
世の中にアプリオリな価値がある物が存在すると考えている人は、縁起人ではありません。

釈迦は、悟るために理論と体感があったので、悟りにたどりつけました。
つまり、それは「考えながら行動できる。ということになります。
縁起人は、そのような人間でないといけません。

 

 

苫米地博士は同著で、菩提を「悟りを目指して修行する人」という意味でとらえています。
この著書では縁起人と菩薩は同じ意味だとしています。

いかがでしょうか。
このように、コーチングと仏教については深い関係があります。

 

まとめ


本当の仏教(原始仏教)とは、ともすれば来生に現世で求めても得られなかった自分の人生の救済を求めがちな通俗的な(原始仏教探求ではない)日本仏教が陥りがちな、単純化された来世信仰でもなく、また、現世利益のみを希求するようなこれも通俗的な(原始仏教探求ではない)世俗的な仏教とも違います。

それを理解することは最初はハードルがあるかもしれません。そのときに、現世での生きることの充実と、現実に堕することなく自分の外側にゴールを設定する真のコーチングを勉強、実践することが、正しい仏教理解(原始仏教理解)につながるのです。

当ブログならではの、そんなユニークな記事にもぜひ注目してください。